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古屋圭三さん 【第1回目】

昨日のメルマガでお伝えしましたように、今日は日曜特別号として、Synta社の古屋氏のインタビューの第1回目をお送りします。

バイオインタビューでは、バイオベンチャーを初めとしたライフサイエンス分野で活躍している日本人をインタビューし、彼等がどう思い、どう行動し、どういう結果を生み出し、これからどういう成果を生み出そうとしているのかについて綴っていきたいと思います。


このインタビューの主眼は、専門的な技術の解説ではなく、インタビューをうける人の「人間性」です。難しい専門用語も出てきますが、分からない言葉はとばして読んでいってください。それが分からなくても読み進められるようになっています。


では、古屋氏のインタビューの始まりです。


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目次

 ・バイオインタビューの記念すべきトップバッターは米国のベンチャー製薬企業の上級副社長

 ・古屋さんは実は英語が全然できなかった?

 ・幼少期の経験が創造性を育んだ

 ・製薬会社もうらやむ富士フィルムの多彩な化合物群

 ・幸運の女神、そして渡米

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koya-sama_060301.jpg◇バイオインタビューの記念すべきトップバッターは米国のベンチャー製薬企業の上級副社長


【清宮】
さて、バイオインタビューの記念すべきトップバッターは、米国レキシントンに本拠を置き、現在急成長中の米国ベンチャー製薬企業・Synta社の古屋(こや)さんです。


古屋さんは日本の大学を卒業された日本人ですが、SVP(上級副社長)として、アメリカに本社を置くSynta社の研究開発を引っ張っておられます。


日本人が研究開発のヘッドをつとめるということは、米国バイオテックにおいてもとてもユニークなことだと思いますし、これまでいろいろなご苦労もあったのではないかと思います。


今日から数回にわたって、そんな苦労の日々の出来事を交えつつ、古屋さんのこれまでの生い立ちや経歴、米国バイオテックでの仕事内容、今後のSynta社の展望といったお話を聞かせていただこうと思います。


このインタヴューを通じて、古屋さんの人間性、Synta社に対する熱い思い、そしてアメリカのバイオテックの熱気が伝えられたらと思います。


古屋さん、よろしくお願いします。


【古屋さん】
よろしくお願いします。Synta社と私についても興味を持っていただきまして、ほんとうにありがとうございます。


栄えある第一回のインタヴューをしていただけるということで、恐縮しています。


私自身の実体験をお伝えすることで、日本の医薬品研究開発に携っておられる多くの優秀な方々に、夢と希望とグローバルな視点をもっていただき、より多くの方々が新しい世界での活躍の場を見出していただけたらと思っています。


【清宮】
一歩先を行く米国の状況を肌で感じられている古屋さんのお話は日本のバイオテックの明日を担う人々にとってきっと大きな刺激になると思います。


◇古屋さんは実は英語が全然できなかった?


【清宮】
最初に、私も含めて多くの読者が「古屋氏はどのようにして米国バイオテックでのSVPというポジションを手に入れたのか?」ということについて疑問に思っていると思います。


そこで、これから数回にわたって、アメリカでSVPの職につくまでをお聞きしたいと思います。


アメリカに到達するまでの足がかりとして、今回のインタビューではまず、古屋さんの生い立ちと日本での職業経験などをお聞きしたいと思います。


日本ではどのような生活を送り、どのような仕事されて、そしてどのような経緯で渡米するに至ったのでしょうか?


【古屋さん】
私の過去をお話する前に、自戒を込めて少し脱線させてください。


何かの本で読んだのですが、酒の席の会話では、次の3つの話はしないのが魅力ある大人のルールだそうです。3つとは、自慢話、男女の話、そして、仕事(または子供)の話です。


よく考えてみると、ほとんどの酒の席での自分の話は、上述した3つに入っていたりすることに気がつきます。これ以外で、豊富な話が自然にできるような人になりたいものだと常々思っています。


今回、インタヴューということで、仕事の話にはなってしまいますが、少なくとも、自慢話にだけはしないようにと思っています。


自慢話にしてしまおうと思えば、飛びっきり奇想天外なサクセスストーリーにもできると思いますが、素面(しらふ)での自慢話など、なおさら性質が悪いと思いますから。


特に、前回、なんとも面映い紹介(12人のトップマネジメントの中で、ただ1人の日本人で、ナンバー2の上級副社長云々)をされてしまったから、なおさらです。


【清宮】
失礼ながら、古屋さんの名前を見たときに、Synta社は日系の会社なんだろうなーと勝手に思い込んでいました。


しかしマネージメント一覧をみたら、日本人らしき人物は古屋さんだけでした。


うわぁ、すごいなこの人って感心しました。


【古屋さん】
あのマネージメント一覧を見ると、すごいことのように思えるかもしれませんが、私は、単純に、皆を巻き込みながら、自分のしたいことを素直にやっていきたい。そうやって、ずっと仕事をしてきました。


そうして、自分の居場所を見つけていたら、ここアメリカに辿り着き、Synta社のSVPになってしまったということだと思っています。


そして、これから先どこに行くのか、自分でもワクワクしているようなところもあります。人は、変わりますし、変われます。


人は、「自分になるため」に生きていると信じている私は、本当の自分になるために、「今」を大事に生きていきたい。そういう気持ちで、毎日を一生懸命生きているというだけです。


【清宮】
よくよく考えてみると「自分は何者なんだ?」って一番難しい問題ですよね。


それは、一生懸命生きようとすればするほど答えが遠くなっていくような、そんな矛盾したテーマだなあというのは最近起業してから私自身も身に沁みて感じることです。そこら辺のことは後でじっくりお話を伺いしたいと思います。


生い立ちに話を戻しますが、好きなことをしてきただけという背景にもいろいろな出来事があったのではないでしょうか?そこら辺を具体的にお知らせ頂ければと思います。


【古屋さん】
では、アメリカ15年の大冒険をこれからお話しする前に、英語が一番の苦手だった(実際、今でも苦手なのですが)私がアメリカに来ることにいたる日本での日々についてお話をさせていただきます。


海外での活躍の場を求めておられる、希望溢れる多くの方々に、少しでも参考にしていただき、何かのきっかけや希望にしていただけると幸いです。


【清宮】
英語はだめだったんですか?


【古屋さん】
はい。全然だめでした。しかし、なんとかなるものです。


多くの日本の方々にとって、英語のコンプレックスが必要以上に障害になっているかもしれませんが、英語はコミュニケーションの手段の一つにすぎません。


大切なものですが、単なる手段であってそれ以上のものではないと思います。より大切なのは、「何をしたいか」という目指すものであって、それさえあれば、案外大丈夫なのです。


【清宮】
以前、海外で活躍されている著明な神経学者が、学会で「ジャパグリッシュでいけ」みたいな話をしていました。つまりカタカナ英語で問題ない、躊躇するなとにかくゴリゴリ押していけと。


なかなか難しいとは思いますが、目的がちゃんと見えていれば言語なんてどうでもよくなるんでしょうね。


ところで、古屋さんの目指すものとは何なのでしょか?


◇幼少期の経験が創造性を育んだ


【古屋さん】
「目指す」と言うより、「したいこと」と言ったほうが近いかもしれませんが、「何か、自分らしいものを創りだして、世の中に役立ちたい」という思いみたいなものです。


私の大学での専攻は、「有機合成化学」です。私は、田舎に育ち、野山を駆け回る少年時代を過ごしました。その時に感じた「自然の神秘」が、いつしか私をサイエンスの世界に導いて行ったのだと思います。


それで、大学では、「有機化学」を学びました。イマジネーションの中の「分子の世界」は、とても魅力的でした。


そのサイエンスを活かして、自分らしい、何か新しい「形」あるものを創り出し、自分を育ててくれた世の中に対して、恩返しをしたい。それで、卒業後、私は企業での研究開発の道を選びました。


「モノ作り」への希望を胸に、私は、ファインケミストリーを駆使したイメージングを様々な「形」にしていた富士フイルムの研究開発に参画しました。


入社式での新入社員代表スピーチで、「今、白いキャンバスを前に、何をどう描こうかとワクワクしています」と生意気なことを言ったときの興奮を今でも思い出します。「一日も早く、社会人として、、、」って言うべきだったのでしょうが、、。


さまざまな専門の知識経験を持つ多くの優秀な研究者との、新規な有機反応を駆使したイメージング製品の創造は、実に楽しく有意義なものでした。毎晩、夜遅くまで新規イメージング商品研究開発に没頭しつつ、その一方で、仲間と共に、富士の化学の力を活かせる新規事業分野を次々に提案してきました。


仲間といえば、小さな子供の頃から、何か新しいことを始めるのが好きで、友達を誘っては、様々な「遊び」や「イベント」を企画しては楽むような少年でした。今でも田舎の小学校(母校)に帰ると、その当時私達が創ったものが、まだ残されています。


【清宮】
どんなものですか?


【古屋さん】
生徒会の選挙システムとか、リサイクル(廃品回収で学校の資金集め)とか、タイル壁画のついた野外教室とかです。私がデザインした「友情」をモチーフにしたタイル壁画がまだ残っているのを見つけた時はさすがに驚きました。卒業生皆の記念作品だったので、きっと壊すに壊せなかったのでしょう。


【清宮】
小学校の時から組織を動かす才能の萌芽があったわけですね。ところで、富士フィルムでは、具体的にどのような製品を作っていたのでしょうか?


◇製薬会社もうらやむ富士フィルムの多彩な化合物群


【古屋さん】
富士フィルムでは、新しい有機反応を駆使した、新規イメージングシステムの研究開発を行いました。インスタントフィルムとか、カラーコピー等の製品として、今も世の中に役立っていると思います。


ただ、それと並行して、富士の化学の他分野への展開を模索していました。その当時、仲間と提案した新規研究プロジェクトには、「分子配列制御による新素材」、「新規有機EL発光素子とカラーフィルターによるペーパーテレビ」、そして「医薬」などがありました。


実を言いますと、その当時、私は、「ケミストリーによる壁紙テレビ」のプロジェクトを創ろうと密かに奔走していました。


ただ、「医薬」には魅力があり、サイエンスの視点からは、富士フイルムに、この分野での大きな可能性があることも、認識していました。


【清宮】
動画デバイスという電子情報領域にいくか、「医薬」に進むか迷った時期があったわけですね。


【古屋さん】
そうです。紆余曲折があってこうしてライフサイエンス分野に身をおいていますが、富士フィルムの技術にはいろいろな可能性がありました。


あまり知られていないのですが、カラーフィルムの化学は、ファインケミストリーの究極の世界であり、分子設計、分子反応、分子配列制御等、医薬に通じるサイエンスがあるばかりでなく、医薬メーカーも驚くほどの多彩な分子から成る数十万個とも言われる化合物ライブラリーをも生み出していました。


イーストマンコダックがスターリングドラッグを買収して、医薬事業に参入したのも、そういう背景があってのことでした。


【清宮】
なるほど。富士フィルムも医薬の可能性には早くから気付いていたのですか?


【古屋さん】
気付いてはいました。ただ、医薬研究への挑戦は、多くの先輩たちが提案したもののなかなか実現しませんでした。


しかし先輩達の努力の甲斐があって、ついに1年間の期限付きで、上述した「化合物ライブラリー」の医薬としてのポテンシャルを評価をするプロジェクトが発足し、私は、このプロジェクトへの参画を打診されました。


ケミストリーを駆使した動画デバイスの創造をめざしていた私は、そこで、究極の選択を迫られます。


【清宮】
先立つ先輩方が何度挑戦しても実現できなかったプロジェクトなわけですので、そのプロジェクトがどれほど困難であり、先行き不透明であったかは想像がつきます。


【古屋さん】
とても悩みましたが、医薬の魅力は捨て難く、プロジェクトへの参加を決断しました。その後、私を含めて数人の研究者で構成された「医薬グループ(推進チーム902)」が結成されました。ちょうど、天安門事件やベルリンの壁の崩壊の年のことでした。


◇幸運の女神、そして渡米


【清宮】
社会の激動の中で古屋さんも個人的に激動の年を送っていたわけですね。


【古屋さん】
そうですね。私にとっては、とても記憶に残る一年でした。


ただ、このプロジェクトはとても難しかった。


当初、私は、自分のサイエンスのイマジネーションでは余りにも複雑すぎる「人のカラダの分子レベルでのバイオロジー」に当惑していました。


自分の設計した分子を、人のカラダに入れる。それが、分子レベルで、多くの生体内分子とどう関わりあって、きちんと薬として働くのか。今のサイエンスでは、その真実を理解するのは難しすぎる、というのが当時の私の正直な思いでした。


多種のスクリーニングからの多くのデータを前に、医薬としての化合物ライブラリーの可能性の評価に困難を感じていました。


しかし、そこで思わぬ転機を迎えます。ハーバード大学医学部のL.B. Chen教授との出会いでした。ミトコンドリアをターゲットとする固形癌細胞選択的な新規制癌剤研究をしていた彼との出会いに、我々は新たな運命を感じました。


【清宮】
Chen教授のことはどのようにして知ったのですか?


【古屋さん】
Chen教授は学問的に優れているばかりでなく、それを「形」にする才能やエネルギーにも溢れていました。自分の仮説を、実際の「制癌剤」にするべく、化合物やパートナーを探していました。


同じ時、「新しい芽」を見出すべく、アメリカで情報収集していた富士USAの方がおり、その方がChen教授と我々との接点を創ってくれました。


それを機に、Chen教授は自ら来日し、その運命の出会いが生まれました。Chen教授とは、それからずっと、一緒に「新薬創生」という夢を追って来たのだと思います。


【清宮】
Chen教授との共同研究については、渡米後のエピソードとして楽しみにしています。


【古屋さん】
彼との出会いを通じて、一般的なビトロスクリーニングでの評価を考慮しつつ、具体的な新規制癌剤研究開発に挑戦することで、写真化合物ライブラリーの医薬としての可能性を知ろうと考えるようになりました。


そして、私達はそこに活路を見出すべく、ハーバード大学医学部と契約し、共同研究を始めました。


幸いなことに、写真用に合成していたメロシアニン色素化合物が、予想以上の癌選択性を示し、最適化研究が始まりました。


物理化学(膜電位や膜透過性)や生物学(癌ミトコンドリア)を有機化学(分子設計)と融合させ、私達は、新しい誘導体を何百個もデザインし、合成しました。


そして、それらの「誘導体」と、渡米のための「J-1ビザ」、会社の同僚の期待を携えて、ハーバード医学部付属の「ダナファーバー癌研究所(DFCI)」に、派遣社員として単身渡米したのです。


日本のバブルが崩壊し、ブッシュ(父)による湾岸戦争勃発前夜の、1990年秋のことでした。


〜〜〜シリーズ1回目【完】〜〜〜


古屋氏の日本での活動のダイジェスト版、いかがでしたでしょうか?


科学の神秘を追い求め、創造することが好きだった少年時代。医薬分野におけるファインケミカルの可能性を早くから察知しつつもその扱いに困惑していた富士フィルム時代。幸運な出会いを経て医薬の分野でのファインケミカルの可能性を見出し、ライブラリーの最適化にまい進した時代。


今回のインタビューで古屋さんの一つの性格が明らかになったと思います。それは、古屋さんは創造することが何よりも好きだということです。


日本では、Chen教授との出会いという幸運な出来事を経て、富士フィルムのファインケミカル事業から医薬の芽を育てることに成功しました。


彼の創造性によって芽吹いた誘導体、または彼自身の創造性がアメリカでどのように花開いたか?次回は、そこら辺を重点的に聞いていきたいと思います。


次回は、順調に行けば来週の日曜日に配信できる予定です。


お楽しみに!


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コメント

バイオインタビュー、楽しく拝読させていただきました。バイオサイエンスの一線で活躍されている人は、とかくその個人の人間性のようなものは見えづらくなっていると思います。今回のインタビューのように、その人のバックボーン、ターニングポイント、今後の展望などが見えてくると、その人がぐっと身近な存在に感じられます。今後もどんな人のインタビューが掲載されるか楽しみに待ってます。

いつも広範囲な話題について重要な情報を判りやすくご提供頂き有難うございます。
古谷さんのインタビュー記事、正直な所長すぎて流し読みにするにしても「いつか時間のあるときに」となります。この内容なら4-5日分に編集して頂けると焦点も定まり面白いのではないでしょうか?
(横着な無料会員読者)

いつも有益な情報を有難うございます。いつもはいつもで楽しんでいますが、今回は最前線で活躍している人の人格や履歴、「英語は苦手」などの意外性が見えてきて、思いも寄らぬ興味深さが楽しめます。早くも2回目が待ち遠しい限りです。あの激動の時期と人生のターニングポイントが合致した人は、分野に関わらず多いようです。不思議ですね。

毎日のメールをとても楽しみにしている大学院博士課程の学生です。今回のバイオインタビューの企画、とても刺激を受けました。感動しました。現在、私は国内の某R研において、分子生物学を用いたライフサイエンス分野の基礎研究を行っています。競争的な雰囲気が満ちている研究所ですので、インパクトの高い論文を完成させるべく必死の毎日です。
「自分は何がしたいのか、今後のプランは何なのか」を考えたとき、私は薬学部を卒業していることもあり、『創薬』にこだわりながら今後の研究人生を歩んでいきたいと考えています。日本における自動車産業やエレクトロニクス産業がそうであるように、医薬関連産業も世界をリードする産業にさせたい。古谷さんのインタビューを拝見させて頂き、ますます創薬研究への意欲が高まりました。今後もバイオインタビューの企画を楽しみしております。

インタヴュー(第1回)に、多くの皆様からの、とても前向きなレスポンスをいただき、大変嬉しく思っております。「空には好きな色を塗れ」。これは、いつからか(私なりの解釈で)私を励ましてくれている言葉です。恐れることなく、あなたの空を、あなたの色に塗って欲しいと思います。それぞれの人に、それぞれの境遇や環境や運命があり、時代や世界が違っていても、世界に一人しかいない自分の、たった一度きりの人生という思いは、皆一緒です。私の物語は、私だけのものですが、私の生き様から、何かを感じて、勇気を持って何かを始めようと思って下さる方が一人でもおられれば、このインタヴューは意味あるものになると思っています。「夢は逃げない、逃げるのは自分から」、これも、僕を支えてくれる言葉です。そして、このインタヴューは私自身への、そういうメッセージでもあります。すべては、自分です。お互い、自分らしく、楽しみながら、がんばりましょう。人それぞれ、成功の意味は違うと思いますが、「100%成功する秘訣」があると思います。このインタヴューの中に、そのヒントがあります。最終回の種明かしまで、楽しみにして読んでもらえればと思っています。最後になりましたが、こういう機会を与えてくださったバイオトゥデイの清宮さんに、感謝いたします。

2月中旬のインタビュー予告以来、いまかいまかと大変心待ちしておりました。予想以上に充実した内容、専門的にはもちろん個人の内面にも迫ったインタビュー記事に感激しています。私は専門の知識は全くない門外漢ですが、(清宮さん、ごめんなさい。無料会員読者です)知識がない人にでも、バイオサイエンスの意義を示唆できる好企画だと思います。日経新聞の『私の履歴書』に匹敵するのでは? 次回も楽しみにしています。

株式投資においてバイオ系で有効な情報が取得できないか?という軽い気持ちで無料会員になりました。しかし、毎回清宮さんの人間味あふれる前書きと、今回のようなインタビューを拝見していつも楽しみにしています。日経新聞の『私の履歴書』を越えてますよー(^^)

>何かの本で読んだのですが、酒の席の会話では、次の3つの話はしないのが魅力ある大人のルールだそうです。3つとは、自慢話、男女の話、そして、仕事(または子供)の話です。

というご発言にとても共感します。古屋さんの素敵なお人柄が滲み出ていました。
最近購読し始めた無料読者ですが、毎回楽しみにしています。

ブログ開設おめでとうございます。バイオ企業経営の第一線で戦っている方の「生の声」というのは、大変貴重な物であり、読み応えがありますね。その方の仕事をする上での「巡り会い」や目標に対しての「熱い思い」などが学べて、大変参考になりました。
 これからも幅広いご活躍を、biotoday好きの一読者として、応援しています。

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