バイオインタビュー 古屋圭三さん、最終回
Synta社の古屋さんのインタビューの最終回をお送りします。
バイオインタビューでは、バイオベンチャーを初めとしたライフサイエンス分野で活躍している日本人をインタビューし、彼等がどう思い、どう行動し、どういう結果を生み出し、これからどういう成果を生み出そうとしているのかについて綴っていきたいと思います。
このインタビューの主眼は、専門的な技術の解説ではなく、インタビューをうける人の「人間性」です。難しい専門用語も出てきますが、分からない言葉はとばして読んでいってください。それが分からなくても読み進められるようになっています。
では、古屋氏のインタビューの最終回の始まりです。
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目次
・Synta社の創生
・前臨床を6ヶ月で終了してIND申請
・一本目のマッチに火をつけろ
・今年の目玉・STA-5326の開発について
・100%成功する秘訣
・なぜ古屋さんは患者さんを助けたいのか?
・自分の感受性くらい自分で守れ
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【清宮】: インタヴュー5回目、いよいよ今回が最終回です。前回のシリーズ4回目では、意志を貫いていくことで、厳しい状況においても新たな道を切り開いていったお話を伺いました。
最終回は、Synta社の創生と成長、現在の活動や開発中の化合物の今後の展望についてお聞きしたいと思います。
【古屋さん】: 前回のインタヴュー記事を読んで、多くの知人が、「そんな壮絶なことが起きていたことを始めて知って驚いた」というようなメールを送ってくれました。
そう言われてみて始めて大変だったことを思い出すのですが、もう、私の中ではすっかり昔の懐かしい、しかも面白い話です。
吉川英治の「宮本武蔵」に、「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある。」という言葉があります。逆境も、こう考えると、案外楽しめるのかも知れなし、それいう人生は、より豊かなものになるような気がします。
そして今回は、Synta社の創設と成長、そして今後の展望の話になると思いますから、もっと明るい話ができると思います。
◇Synta社の創生
【清宮】: 楽しみにしています。古屋さんは、現在のSynta社のCEO(最高経営責任者)・Safi Bahcall氏との出逢いをされることになりますよね。Bahcall氏はどのようにして知ったのでしょうか?
【古屋さん】: Dr. Bahcallは、両親がプリンストン大学の教授で、本人は、ハーバード大学卒業後、スタンフォード大学で物理学の博士号を取り、その後、世界的コンサルタント会社、マッケンジーで、経営を学びました。
経営を学んだ彼が辿り着いた結論は、自分の医薬会社を創ることでした。そして、彼は独立することを決め、Chen教授と共に、新しい医薬のベンチャー企業を創りました。それがSynta社の卵でした。
すぐに、Chen教授は、Dr. Bahcallを私に紹介してくれました。それが彼との出会いです。
そして私達は、SBR社をそっくりそのままSynta社に吸収して、それを核とした新医薬ベンチャー企業にすることを思いつきました。
【清宮】: Bahcall氏との出会いから、これまでに創り上げてきたデスカバリーエンジンやリード化合物を駆使したSynta社が誕生したわけですね。
古屋さんはついに親会社の意向ではなく自分たちで経営ができる100%アメリカ資本のバイオベンチャーをたどり着いたのですね。
【古屋さん】: Synta社はSBR社からのスピンオフであると言えると思います。新生Synta社は、こうして100%ピュアなアメリカンバイオベンチャーとして、約40名の仲間で船出しました。2002年の秋のことです。
◇前臨床を6ヶ月で終了してIND申請?
【清宮】: 目標目指して“自分たちで”舵が取れる船を手に入れたわけですね。
最初のインタビューでもお知らせ頂いたように、Synta社はミニ製薬会社を目指しています。最初からその目標を立てていたのでしょうか?
【古屋さん】: 最初から製薬会社になろうと考えていました。そのためにまず、ビジョンを創りました。10年で、Fully Integrated Pharmaceutical Company (総合的医薬会社)になるという新しいビジョンです。
Synta独自のディスカバリーエンジンに、更にデベロップエンジンを創り、さらには、コマーシャルエンジンをも付けて、10年で、創薬から販売まですべてができるユニークな医薬会社Syntaを創ろうと決めました。
そして、コアバリューも決めました。Synta社のホームページにある3つの言葉: Quality、Speed、Passionです。
【清宮】: 富士やSBR社を通じてディスカバリーエンジンを構築するのにも、10年もの歳月を費やして来たのですから、10年で、独自の総合医薬会社になるというのはとても挑戦的なビジョンと感じます。
そもそも、多くのバイオテックが製薬会社に薬剤をライセンスすることをメインとしている中で、なぜSynta社は総合医薬会社を志したのでしょうか?
【古屋さん】: 自分達にしか創れない、自分達の薬を創生し、開発し、認可を得て、患者さんのもとへ届ける。その舵を握り、目的に辿り着くには、総合医薬会社であることが必要でした。
夢を追うことを良しとするアメリカにおいても、やはり、「無理だ、無謀だ」ということは、言われました。
ただ、私は、誰かが「無理だ」とか「できない」と言うと、それなら、「やってみせようじゃないか」みたいな性格ですから、何が何でも実現してやろうと思いました(笑)。
【清宮】: 無理ではないことを証明するためにどんなことをされましたか?
【古屋さん】: とにかく、約束したこと以上のことをやってみせようと。ターボチャージのミニ製薬会社となるためには、まず、前臨床開発というSynta社にはなかった新しい機能を創り、候補化合物を開発することができるということを証明せねばなりません。
そこで私は、約束した以上のことができることを証明するために、6ヶ月で、前臨床開発を完了して、IND申請をしてみせると約束しました。もちろん、問題なく臨床へ進めるようなIND申請です。
その当時、平均で2年程度かかっていたIND申請を、6ヶ月でというのは、かなり大胆な約束でした。GMP合成製造、GLP毒性試験など、皆、含めて、6ヶ月ですから。
【清宮】: 10年で総合医薬品会社というビジョンの実現の可能性を伝えるには6ヶ月でできるという力を見せ付けることが必要だったのですね。
【古屋さん】: 豊臣秀吉の逸話の中でも有名な墨俣一夜城の話みたいなものです。短期で築城できた結果、その翌年に織田信長は斉藤竜興を降伏させ、秀吉は信長の信頼を勝ち得ていきます。
当たり前のことを当たり前にできるだけでは、大きな投資は得られない。投資家を唸らせる位の違いやポテンシャルを見せて、信頼を勝ち得、投資を得ることが必要でした。
【清宮】: Syntaにとって、初の前臨床開発で、しかも、僅か6ヶ月なのですから、かなりチャレンジングな目標だったと思います。失敗は考えませんでしたか?
【古屋さん】: 「実現したいことに意識を集中する。実現したくないことにはではなく。」
これは簡単に聞えますが、多くの人は、この逆をしてしまいがちです。実現したいことに意識を集中して、全身全霊を傾けて実行すれば、大概のことはできるものだと信じています。
【清宮】: 「当たり前のことを当たり前にできるだけでは、大きな投資は得られない。」は非常にエネルギーが必要ということは最近身に沁みて私も感じています。IND申請はうまくいきましたか。
【古屋さん】: 約束した日の、3日前にIND申請を達成しました。STA-5326のIND申請書類を創り、申請した日のフォトがあるので、お見せします。Synta社の前臨床開発に関わった面々です。
▽IND申請
【清宮】: 大量の資料を前にして、皆さんの喜びや緊張が伝わってきます。6ヶ月でのIND申請を成功させた秘訣は何だったのでしょうか?
【古屋さん】: チームワークです。Synta社内だけでなく、社外のCRO(Contract Research Organization: GMP-薬剤合成施設やGLP毒性試験施設等)も巻き込んだ包括的なチームワークのおかげです。
これらのCROを最初に訪ねた時は、Synta社という名も無いベンチャーから来た、訳の分からない日本人が、「この仕事を何としても、2ヶ月以内で、3千万円で仕上げて欲しい」と言い出したのですから、相手も困ったと思います。当然、「話にならない。無理です。」と言われました。
それでも諦めずに、新薬の持つ魅力や、新薬を待つ患者さんのことや、将来のビジネス関係等を何度も説明し続けました。
そのうち、意気に感じて賛同してくれる奇特な有志が現れ始めました。会社に来てレクチャーをして欲しいと言われ、新薬の卵について、熱っぽく語ったことを覚えています。
100人もの人が集まってくれて、講演終了後に、動物実験をする作業員に、是非この薬のために試験をしたい、と握手を求められたり、トップマネジメントの人が、「(損得を度外視して)一緒にやらせてもらいます」と言ってくれたりして、感激したことも覚えています。
【清宮】: 古屋さんの前向きな挑戦や熱意が、それを感じる多くの人達を巻き込んでいった様子が分かります。
◇一本目のマッチに火をつけろ
【古屋さん】: CROの中には、私を信用して、自分の裁量で、契約書ができていないのにも関わらず、何千万円もの試験を行ってくれた兵(つわもの)もいました。会社は違っても、新しい薬を創って患者さんを助けたいという思いが通じたのか、皆、心をひとつにして、必死で働いてくれました。
ちなみに、そのツワモノは、その後、遂にはSynta社に参画してくれました。前臨床開発部長(ディレクター)として今も、毎日、私と共に新薬開発に汗を流してくれています。
「一本目のマッチに火をつけるのは時間がかかるが、二本目に火を灯すのは、一瞬だ。」という言葉があります。そして、「ろうそくに火を灯せば、まわりは光で満たされる。」と。一本目のマッチに火をつけるのは大変なことです。暗い中、何の保障も無い中、頑張り続けなければならない。
そして、なかなか火はつきません。火がついていないときの周囲の評価はとても厳しいので、火がつくまでの間はとても辛いかもしれません。
しかし、その火が灯ったとたんに、世の中は変わります。二本目に火を灯すのはもう簡単です。そして、「ろうそくに火を灯せば、まわりは光で満たされる。」のです。
【清宮】: 古屋さんのこういった比喩的な話は、自分自身の境遇に当てはまることが多く、とても印象に残っています。言葉にするととても平凡になってしまうのですが、古屋さんの人生に関する比喩的な話で私はとても勇気付けられています。今は私は火がついていない状態なんだと思いたいです。
【古屋さん】: 私には、1本目の火はもうついているように感じます。
清宮さんのお仕事は、確実に広がりを見せ、多くの人達に、貴重な情報を供給するだけでなく、こうして、アメリカバイオテックの生の声を伝えたりして、多くの人達に夢や勇気を与えていると思います。
私が、こうしてバイオインタヴューに出ようと思ったのも、その火を少しでも大きく輝かせることを、お手伝いしたいと感じたからです。
【清宮】: ありがとうございます。私は、あまり知られていない海外のバイオベンチャーの活動を日本の人に伝えるとか、共感の環を作るとか、あくまでも読者の利益という大義名分を掲げてこのBioインタビューを始めましたが、正直にいうと、このインタビューは途中から読者のためでなく、自分が最も必要としていたんだということに気が付きました。
独立はしたものの会社勤めした時よりは収入は減るし、BioTodayのサイトのリニューアルはなかなか前進しないし、周囲の知り合いが会社中心で動いていることで疎外感を感じたり等、俺はこのままこうしてこの部屋で一生を終えることになるのだろうか?などと不安にさいなまれることがあったりして、現実と夢のギャップにとてつもない不安を感じることがあります。
そんな不安定な時期だから古屋さんのインタビューはとても身に沁みているんだと思います。古屋さんのストーリーにものすごく勇気付けられる。それが今の自分のレベルです。
さて、話をSynta社に戻したいと思います。
Synta社は、創設から数年間で、日本円で220億円もの投資を、個人投資家から得ています。これは、数あるバイオテックやベンチャーの中でも、異例のことだと思います。
その裏には、火がついていない間の、おそらく壮絶な努力があったわけですね。
【古屋さん】: この6ヶ月IND申請だけが、Synta社がこれだけの投資を得られた理由ではありません。その後、短期間に、立て続けに、2つのIND申請を達成して、3つの新薬の卵を臨床に入れましたし、ディスカバリーエンジンからは次々に新薬の卵を創生し続けていました。
こうした急成長と充実したパイプライン、そしてチームワークが評価され、信頼が得ることができたのだと思います。Quality ? Speed ? Passionを形で見せたとも言えます。
ベンチャーキャピタルを使わない220億円もの投資を得たことは、業界ニュースだけでなく、ボストングローブのような一般新聞記事でも取り上げられ、Synta社は、一躍有名になりました。
◇今年の目玉・STA-5326の開発について
【清宮】: CROも惹きこんでいったように、投資家も古屋さんの熱意にからめとられてしまったであろうことが想像できます。
投資家から潤沢な資金を得た後には、臨床試験の成果が重要になってくると思います。
ただ、正直なところ、化合物の臨床試験は思ったほど順調ではないという印象を受けます。
STA-5326は画期的なIL12・23阻害剤ですが、残念ながら、このSTA-5326は乾癬を対象にした後期第2相試験で有効性を示すことができませんでした。この結果を、どうお考えですか?
【古屋さん】: 自己免疫疾患には、クローン病やリウマチ、乾癬、多発性硬化症等、様々なものがあります。
症状の全く異なるこれらの病気を引き起こす共通の原因となっているのがTh1亢進であり、それの鍵を握っているのが、IL12やIL23であることが、近年の研究から分かってきています。
したがって、その鍵を握るサイトカインの選択的な阻害剤は、これらの全ての自己免疫疾患に効果を示す画期的な薬になると考えられます。
現在進められているIL12抗体の臨床試験は、その可能性を十分に示しています。STA-5326は経口剤ですから、その薬の持つ意味は、非常に大きいのです。
http://www.syntapharma.com/PrdOralIL12Inhibitor.aspx
乾癬の後期第2相試験で臨床的に有効性を示せなかったことは事実ですが、それが、この薬の可能性を否定するものではないと考えています。
実際、バイオマーカーではTh1抑制が認められていますし、その用量依存性も確認されています。
臨床的有効性を確実に示すには至りませんでしたが、患者さんでの安全性のより確かなデータが得られました。適切な用量やスケジュール、フォーミュレーションによる疾患部位へのデリバリー等の改良で、乾癬でも、臨床での有効性は示せると思っています。
【清宮】: 3回目のインタビューでも触れましたが、2006年はクローン病やリウマチを対象にしたSTA-5326の開発にフォーカスされるとのことでした。
個人的には、クローン病やリウマチと同じ自己免疫疾患の一つである乾癬を対象にした後期第2相試験で有効性を示せなかったSTA-5326でクローン病やリウマチでの有効性を示すことはとてもチャレンジングな試みと考えています。
勝算ありと踏んだからこそ、クローン病やリウマチを対象にした臨床試験を進めるのだと思いますが、勝算ありと判断した根拠を話せる範囲で教えてください。
【古屋さん】: 画期的な経口IL12.23阻害剤であるSTA-5326を一日も早く開発したい余り、乾癬においては、後期第2相試験を、優先させました。
クローン病においては、ステップワイズに前期第2相試験を実施しており、その臨床的有効性や薬効容量を確認してからの、今回の後期2相ですから、成功確率はより高くなっています。
また、クローン病の場合、疾患部位が消化器であり、体内吸収された薬剤の薬効に加えて、薬剤の直接作用が加わります。臨床の有効性を示せる可能性は、さらに高くなります。
リウマチについては、POCを取る為の臨床試験という位置づけです。クローン病での有効性を示し、第3相試験に入った後に、乾癬、リウマチ等の他の自己免疫疾患への応用を本格的に考慮したいと考えています。
【清宮】: 3回目のインタヴューで、“Han-Sei (反省)”という概念や習慣を、Synta社に持ち込み、根付かせれたというお話を伺いましたが、乾癬で先を急いでしまったという 失敗が“反省”へてクローン病の試験手順に生かされているわけですね。
【古屋さん】: STA-5326の臨床開発では、1日かけて、「反省」会議を持ちました。多くの反省事項が論じられ、種々の改良案が議論されました
。詳しくは述べられないのですが、先ほどのクローン病へのフォーカスも、そういう反省のひとつの結果です。
一例を挙げますと、STA-5326のメカニズム研究が進められ、その解明によって、より確度の高い臨床応用ができるようになりつつあります。
例えば、そういう観点から見ると、同じTh1亢進という範疇で括られがちなクローン病と乾癬ですが、実は明らかに違う疾患であることに気がつきます。
【清宮】: ありがとうございます。私はクローン病での後期第2相試験の結果を非常に楽しみにしています。この後期第2相試験の結果がSynta社の実力が現れる試金石だと思っています。
Synta社の他のプログラムも大変ユニークで、そのポテンシャルを感じさせるものばかりですが、そのいくつかについてご紹介願えますか?特に、研究段階にあるCRACチャンネル阻害剤というのはとても興味あるところです。
【古屋さん】: CRACチャンネル阻害剤も、大変ポテンシャルの大きなプロジェクトです。
マスト細胞とT細胞にだけ存在するとされるカルシウムチャンネルですから、この選択的阻害剤があれば、毒性の極めて低い免疫抑制剤が生まれますし、アレルギーや喘息への応用も十分可能です。
Synta社では、すでに何種かの選択的かつ非常に強い経口阻害剤を見出しており、動物試験でも、薬効、毒性共に、有望なデータが出ています。
新しい薬剤の領域を開く可能性が高いため、まだアドバンスリードの後期ディスカバリー段階ですが、既に多くの大手の製薬会社からの共同研究のアプローチを受けています。
(http://www.syntapharma.com/PrdIonChannelModulators.aspx)
【清宮】: IND申請や臨床試験開始のニュースを心待ちにしたいと思います。
こうしてパイプラインが充実しており、そして大手製薬会社から注目されるのは、研究者等が優秀なだけでなく、トップマネジメントの努力もあるのでしょうね。
【古屋さん】: トップマネジメントのレベルや人間性は、Synta社のレベルやカルチャーを決するほど、重要です。それをきちんと認識し、一致団結して、Synta社をリードしていかねばなりません。
そのために、他社で楽に地位を得ていた延長で、Synta社のマネジメントに参加すると、驚くことになりますし、厳しいですから、長くは勤まりません。
【清宮】: 1日にどれくらい働いてるのでしょうか?
【古屋さん】: もちろん、24時間です。「一日に何時間位、父親ですか?」と訊かれたら、「24時間です」と応えるのと同じことです。その位の責任感と使命感を持って仕事をしています。
【清宮】: 24時間働いているという感覚はよく分かります。24時間父親というのもよく分かります。けど、やはり私は仕事を優先してしまいます。仕事と私生活のバランスをとるのは難しいですね。
◇100%成功する秘訣
【古屋さん】: これは私にとっても永遠の課題です。1日が30時間あったらどんなにいいだろうと良く思いますが、世界中の人に平等に24時間、というのが、またいいのだと思います。
「流されないこと」「誤魔化さないこと」は大事なことだと思います。それが仕事でも、家族でも、より大事なもののために、何かを犠牲にするのはやむを得ないことです。
それを覚悟することと、自分の意志を明確に示し、自分が信じる道を歩む「強さ」が必要だと思います。それが、結局は、優しさでもあり、周りの理解を得ることにもなるような気がします。
【清宮】: 何を犠牲にして、何をとるのかということを予め認識して、なあなあでやり過ごすのではなくその意思を近しい人に知らせることが大事なんでしょうね。
恐らく、富士をやめてアメリカに残る事にしたほかの4人の方も、犠牲を払ってアメリカにとどまることを決意したのだと思います。古屋さん以外の4人の方々は、現在どのようにしておられますか?
【古屋さん】: 富士を辞めて10年近く経つ現在でも、4人とも、皆、元気で、アメリカにいます。
そして、我々の初心である「創薬の夢」を追い続けています。そのうち2人は、Synta社のDirector(部長)として、DMPK(薬物動態代謝)グループと、Pharmacology(薬効薬理)グループという、Syntaの新薬研究開発の要(かなめ)をリードしています。
この二人無しでは、Synta社は機能しないと言われるまでの存在として、日々、活躍しています。
また、もう二人も、新しく立ち上げた創薬ベンチャーを中心にして、Synta社とは異なる創造的新薬研究開発を積極的に進めています。
【清宮】: 皆さんが全員、10年以上もの間、創薬研究開発を続けていらっしゃるのですね。夢を追うということは、あきらめずに実直に長く続けるということなのでしょうね。
第1回目のインタビューで古屋さんが示唆した「100%成功する秘訣」はなんとなく分かったような気がします。
【古屋さん】: 清宮さんは、きっともうお分かりだと思います。そうです、100%成功する秘訣は、「成功するまで、やり続けること」です。「成功するまでやり続ければ、必ず成功します」。
◇なぜ古屋さんは患者さんを助けたいのか?
【清宮】: 65歳から事業をおこして成功させたカーネルサンダースが頭に浮かびました。目標を持って、それに向かって努力するといずれ何かが生み出されると信じたいです。
古屋さんにとっての究極の目標は患者さんを助けることだと思いますが、古屋さんのインタビューを通じて、一つ不思議に思っていることがあります。なぜ、患者さんをそこまでして助けたいと思うのでしょうか?
その思いを支えているものは何なのでしょうか?
【古屋さん】: 「100人の村」というのをご存知かと思います。世界の全ての人を、100人の村に喩えたお話です。57人がアジア人です、から始まります。70人は字が読めません。1人が死に、1人が死にそうです。
そして、大学教育を受けられるのは村ではたったの1人です。
地球上の60億の人間のうちのほとんどは、「生きる」ことに全精力を費やさねばならない環境にいます。
私は豊かな国、日本で教育を受け、さらに豊かな国、アメリカで生きています。
この村(地球)でのアメリカ人はたかだか6人なのに、村全体の富の59%を持ち、半分以上の資源を消費しています。
そういう国アメリカで暮らし、その豊かさを享受している自分のことをいつも思います。そういう非常に恵まれたチャンスを与えられた私は、それを世界に役立てるように、生きていくべきだと思っています。
シェイクスピアの戯曲「尺には尺を」に、このような文句があります。「天がわれわれを使用するのは、われわれが松明(たいまつ)を使用するのと同じである」「松明の役目は、松明が松明自身を照らすためではなくて、松明が他を照らすことにある」。
洋の東西を問わず、実は、人間は他者の喜びのために努めることが、みずからの喜びにつながるという真理に気付いています。それを本当に知り、実行し、その喜びを感じる人はごくわずかなのですが。
私は、自分に与えられた恵まれた境遇やチャンス、育ててくれた多くの人々に感謝して、自分のサイエンスや才能を駆使して、「新薬創生」という形で、世の中に恩返しをしたい。そう思っています。
【清宮】:他人の喜ぶ顔を見ると自分も幸せになることはみんな気付いていると思います。自分の持てる知識や才能と、自分が幸せと思う瞬間を照らし合わせると、何をすればよいのかが見えてくるかもしれませんね。
これまでの話から、古屋さんの仕事人としての最大の喜びは、Synta社の薬を使ってよくなった患者さんの笑顔を見たときだと思います。ただ、開発段階の薬しかありませんので、患者さんの笑顔が見れるのは早くて数年先になるのではないかと思います。
そんな中で、自分のモチベーションを常に高く保っていれる秘訣は何なのでしょうか?
【古屋さん】: 簡単です。焦ったり慌てないでその日その日を一生懸命ベストを尽くすことです。
「大きな花は、ゆっくり咲く」という言葉があります。
「将来」は、希望や夢を抱くところであって、不安を持つところではないと思います。
「不安」感じて、焦ったり、慌てたりしてはいけないのだと言い聞かせています。
やがて来る「将来」に対してできる最善かつ唯一のことは、「今」を懸命に生きることだけだと思います。
過去と未来から、現在を切り離して、いかに、「今日」という最も大事な日に焦点を絞ってベストを尽くせるかが、課題です。その毎日の結果が、確実に明日を創っていきます。
私は今でも、自分の信じる「成功」に向かって、毎日を懸命に生きていますし、これからも、成功するまで、あきらめないでやり続けていこうと思っています。
「花開く」と言えば、Synta社では、いろいろな面白い行事があるのですが、その一つに、アートコンテストというのがあって、Synta社の社員が自分たちの創ったアート作品を持ち寄って、プロの審査員も呼んで、コンテストをするのです。
先週、そのイベントがあって、私は、”Blossoming Synta (開花するシンタ)”というタイトルの水彩画を出品しました。シンタ社のロゴをモチーフにしたもので、現在のシンタ社を水彩で表現してみました。
躍動感とエネルギー、開花の期待と喜びと、私のSynta社への想いを感じてもらえるものと思います。
▽Blossoming Synta
◇自分の感受性くらい自分で守れ
【清宮】: 開花、すなわち新薬が世に出るまでにはまだ少し時間がかかりそうですが、絵に表現されているようなエネルギーを持ち続けていつか新薬を世に届けてください。
私は、この対談を通じて、Synta社に代表される厳しいアメリカのバイオテックの世界に、直に触れることができたという収穫だけでなく、古屋さんからエネルギーを分けてもらいましたし、多くの価値ある教訓を得ることができました。
古屋さんにとってもこのインタビューが何らかの役にたったと願いたいたいです。
私は、ここまでのインタビューで古屋さんのエッセンスを十分に吸い尽くせたと思っています。まだまだ、古屋さんには秘密の引き出しがたくさんありそうですが、それは次回のインタビューにとっておくことにして、今回はこの辺でインタビューを閉めたいと思います。
最後に、日本のBioTodayニュースレターの読者にコメントいただけますか?
【古屋さん】: 私も、このインタビューで、自分の駆け抜けてきた道を少し振り返る時間が持てたことで、これからも、また、頑張っていく新たな勇気が湧いてきました。
また、多くの人達に支えられながら、ここまで歩んでこれたことを改めて感じています。特に、今回のストーリーに大きく関わった先輩の方々(西尾大二郎氏、宍戸忠夫氏、杉山正敏氏、有田斉氏、そして、小野光則氏)には、心からのお礼を言わせてください。
アメリカのハイテク企業であったユーナイテッド、テクノロジー社が20年以上前に、ウォールストリートジャーナル(新聞)に一連の広告を出しました。
そのテーマは、「個人としていかに生きるかが、やがて国家としていかにいきるかを決めることになる」というものでした。これは、アメリカ民主主義の核心でもあり、今からの日本を思うとき、大事なメッセージだと感じます。
日本がこれからどうなっていくかは、ひとえに、私達一人一人が、どう生きていくかに、その答えがあると思います。それは、たとえどの国に住んでいても同じことであり、いつか国家という枠組みを越えて、きっと世界に広がっていくことだと思います。
この複雑な社会において、個人として如何に生きるか、すなわち、自分の気持ちに素直に生きていくということは簡単なようで難しいものだと思います。
経験を重ねるに連れ、そのことを痛感します。そして、人が生きていくうえで、それがいかに大事であるのかも。
最後に、個人としていかに生きるかを考えることがどれほど大事かということに関連して、私自身が衝撃を受けた、詩人「茨木のり子」さんの詩を皆さんに贈らせてください。大人になって、叱ってもらう機会があまりなくなってしまった今、最後の3行には、目が醒める思いがします。
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自分の感受性くらい (茨木のり子)
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ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ